謎の人物椎野先生ってどんな人なの?

椎野ゼミ出身者による椎野先生レポート
取材・文:井上 淳 (1999年卒業)

椎野先生と井上氏の対談

ヒストリー:小学校時代

「神童現れる」の章

 産まれてから幼少期までは、東京都の目黒区で生活していましたが、小学校に上がる前に、母親の勤め先である、浦安町立小学校のある浦安に引っ越すことになります。
 椎野少年も母親のいるこの小学校に入学することになります。ここは1学年500人もいるマンモス校でしたが、この頃から学校の成績は群を抜いていて1番でした。そして背は一番低かったですがスポーツも万能でした。そんな子は、当然ながら同級生からは一目おかれ信頼も厚く、そして、他の先生達にかわいがられまさに「神童」という状態でした。
 この幼いころの、周りの人達から「愛され」「評価されている」という状態を経験したことは健全な自己イメージの形成に影響を与えていったのかもしれません。
昭和の小学校

昔の小学校(イメージ)

 ユニークなエピソードとして、小学校高学年の頃に担任教師から、授業の代行を頼まれるということがありました。担任の代わりに教壇に立ちクラスメイトに対して先生となって授業を遂行していたということです。
 なぜ、そんなことをさせたのかというのは、あくまで取材者の推測ですが「優秀過ぎるこの子には、他の子には出来ないチャンスを与えても面白いかもしれない」と思ったのかもしれません。いずれにしてもそういうことにもまだまだ寛容な時代だったことも背景にあると言えます。また椎野先生の「教え方の上手さ」もこの頃の経験からも培われているかもしれません。

 さて、その位「頭の良かった」椎野少年でしたが、本人としてはガリ勉だったという自覚はなく、興味があったのはもっぱら漫画だったようで、少年誌に限らず姉が読んでいた少女漫画も乱読の毎日でした。ですが一方で勉強についても、親からはあまり「勉強しなさい」と言われた記憶はないですが、自ら(嫌々ではなく)宿題や勉強はしていました。特に、暗記を中心とした勉強よりも、算数(数学)や理科(生物ではなく物理や化学)のように、世の中の原理原則が明らかになるような勉強が好きでした。

 とにかく勉強に限らず知らない世界に対しての好奇心が旺盛で、ハマりだすととことんまで追求してしまう性格の少年で、今の学者としての原型はこの頃にあるかもしれません。