謎の人物椎野先生ってどんな人なの?

椎野ゼミ出身者による椎野先生レポート
取材・文:井上 淳 (1999年卒業)

椎野先生と井上氏の対談

ヒストリー:中学校時代

「モテキもどき」の章

 中学校になると小学校のあった浦安ではなく、東京都の江東区亀戸中学校に通うようになります。当時、亀戸中学校は新設の受験校で、同級生も椎野少年同様、受験を考えている人が隣接区域から通っていました。
中学校では、卓球部、ブラスバンド、演劇部と3つの部活を掛け持ちながら、家に帰ったら相変わらず漫画三昧、そして休みの日になると当時のエンタテイメントの王様であった日本映画を町の映画館で観まくるという毎日でした。
 そして、この頃は1964年の東京オリンピックも終わり、一般家庭にもいよいよテレビが入ってくるというテレビ時代の創世記でもあります。当然ながらテレビは「見る」ことの虜になっている少年の心を鷲掴みにし、親の帰りが遅いことを良いことに夜中まで観ているといいう状態でした。テレビでは、子供向けの番組やアニメだけではなく、今世の中で起こっていることのニュース、そしてドラマ、また今でいう18禁的な大人の情報等、なんでも教えてくれ、いつも好奇心を刺激し心躍らせてくれる「魔法の箱」でした。

※ちなみに、椎野先生の情報収集に関しての余談になりますが、椎野ゼミ室内は、ありとあらゆるジャンルの本で一杯です。さぞかし大変な読書家なのか、と想像される人もいるかもしれませんが、ご本人曰く「本を読むのは昔から嫌い」で職業柄、読書に関しては情報収集の為の一つのツールとして捉えており、テクニックで読んでいるだけだ、ということです。やはり椎野先生が好んでいるのは「見る」ことを軸とした情報収集のようです。

 このように勉強以外のことに心奪われ過ぎているように一見思いますが、学校の成績はいたって良く、小学校の頃のように断トツのトップではなくなりましたが、トップ3に入る成績ではいて、反抗期も全くなく生活態度も良好な所謂優等生でした。
また、異性のことが気になりだす思春期盛りのこの時期であります。物知りで優等生の椎野少年の周りには女の子が多かったです。が、これが「モテてた」のとは違い、むしろ反対で女の子が言うには

「椎野君は男として見られないから接しやすいの」

ということでした。男なら誰もがもてたくなるこの時期、とはいえ、ほとんどの男子は結局もてることなく甘酸っぱい青春の歴史の幕を下ろすことになるかもしれませんが、女の子が周りにいながら「男として見られない」とはっきり言われるのもなかなかの事件かもしれません。
「どういう訳か分かりませんが。」とご本人は不可思議に当時を振り返っています。

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